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もし、あなたが悪い季節にいるとしても
絶望の果ての希望を信じるなら、ノンシープに救われる
生きづらい時代。1日あたり90人近くが自殺する国。理不尽なことがまかり通る国。崩壊しつつある資本主義社会。そんな日本の現実を直視している人が、どれだけいるだろう? 今も絶望の淵で不安と闘っている人々がいるのも現実だ。僕らは、ただ闇雲に「がんばろう」とか、根拠もなく「大丈夫」と言われても、気休めにもならないということを3.11以降、嫌というほど見たじゃないか。寂寞とした時代の閉塞感を打破するには、どうしても現実を直視することからしか始まらないだろう。
そんな「絶望」や「不安」や「悲しみ」を、もう何年も前から直視し、受けとめ、表現しているロックバンドがいる。NON'SHEEPという4人組だ。メンバーは佐藤雄駿(Vo/Gt)、田子 剛(Gt)、額賀康孝(Ds)、渡辺弘尚(B)の4人。音楽性はグランジ以降のドライ且つ繊細なサウンドと、浮遊感あるメロディ、独特なのがVo.佐藤の歌詞だ。目を背けたくなる真実を暴こうとする歌だということに気づく。07年リリースの1stアルバム『Annunciation』、08年リリースの2ndアルバム『sad morrow』と、作品を重ねる度に音像は深まり世界観は拡がっている。
約3年ぶりのリリースとなる3rdアルバムが届いた。プロデューサーに黒沢健一氏、永井はじめ氏を迎え、じっくり時間をかけて作られた全9曲を収録。現在、必要とされている音楽を紐解くべく、今回、誌面の記事とは別にインタビューをお届けしたい。佐藤雄駿にじっくり訊いた。
NON’SHEEPみたいな角度から世界を見てるバンドもいない
■アルバム・リリース前からライヴをずっと続けているようで。
佐藤:今年入ってからずっとツアーですね。
■それもあって、喉を酷使してしまったんですかね。
佐藤:疲れが少しずつ蓄積したのかなぁ。
■佐藤君の急性声帯炎でライヴをキャンセルせざるを得ないという事態になったようですが、先日9/22の下北沢GARAGEのライヴで復帰と。
佐藤:その日のリハーサルで1週間ぶりに声を出しました。直前まで声が出るのかすら分からなかったので、なんか恐怖感を引きずってる状態でステージに立っていたというか、この場は声が出てるから、ずっと歌ってたいというのがあって。吐き出せるという状態があったので、ステージを降りた時は怖かったですね。また、ステージに立たないといけないんだってことが……安堵感には満たされなかったですね。そこを乗り越えればどうにかなるという気持ちもありつつも、終えてみると思っていた景色とは違うものが見えた。
■苛酷な状況の中でもツアーは続きますが、以前のNON’SHEEPだと、そんなにツアーやってなかったですよね。
佐藤:ちゃんとしたツアーは今年からですね。やっぱりライヴで伝えていくしかないだろうってところで。
■ベースに渡辺君が加入してバンドとして一丸となれたのもあったのでは?
佐藤:そうですね。実際、いっぱい本数ができるという事が違いますし。ライヴを重ねる事によって、バンド感が去年までとまったく違いますね。ベーシストが変わると音楽性にも大きく影響するし、渡辺君はガンガン前に出ていくタイプなので、ある意味、今までNON’SHEEPにはそういうメンバーがいなかったので、見た目的な飛び道具がひとつできて、バンドの見え方も変わったのかなと。
■アルバムですが、3年ぶりと結構空きましたが、その理由は?
佐藤:実際の音自体は結構前にでき上がっていて、単純に出すタイミングを見計らっていたんです。その間にNON’SHEEPのメンバーの立ち位置が少しずつはっきりしてきた過渡期だったのもあって。1st、2ndは田子君と僕が曲を半々で書いてたんですが、今回のアルバムは全曲を田子君が作っていて。デモを2人で6〜70曲あげたんですけど、制作していく過程で、音楽的な才能は田子君には敵わないなと痛感したんですよね、それで作曲は田子君に全部委ねて、僕は言葉のほうにシフトして行ったというように立ち位置が変わっていったんです。
■ある意味、プロフェッショナルにメンバーに一任しようと考えた、とも言えますね。
佐藤:ゼロから何かを生み出す事に関しては、田子君はズバ抜けてるので。それを構築していくのはみんなでやればいいし、そこを田子君に委ねる分、僕は言葉のほうに突き詰めていけたのが、今回のアルバムで出たと思います。
■そこが以前と違う部分であり、やっぱり今作が最も良いんですよ。1曲目“落下”が始まって「ああ、NON’SHEEPだな」と落ち着く感もあるんですが、聴き進めると、このアルバムはかなりポップでかなり聴きやすいなと。そういう感想は今までのNON’SHEEPらしさから言うと、ちょっと違うかもしれないですけど。
佐藤:自分達も歌を、メロディを届けるという意味では、そんな難解な事をやろうというつもりはないので。歌モノというのが全員、根幹にあるので。
■ネガティヴなことは歌ってても、決して、そこに浸るような音作りではないですからね。
佐藤:それは僕がネガティヴだとは思ってないからですけど。
■あ、以前から言っている持論ですね(苦笑)。
佐藤:そうですね(笑)。基本的にオケができてから詞は書くんですけど、そこで例えば、ダークなサウンドだったら、また違う歌詞になるだろうけど、元々、NON’SHEEP自体がそういうのがあまり出てこないので。
■メロディは以前からいいですが、今回、よりハマってますね。プロデューサーに黒沢健一さん、永井はじめさんを迎えたのも大きいですかね。
佐藤:かなり大きいですね。歌とメロディがより前に出るようにというアレンジを、技術論的なとこでご指導いただき、自分達で消化しつつ。
■お二人、それぞれどんなプロデュースの仕方でした?
佐藤:黒沢さんは“遺書”と“サメナイユメ”の2曲ですけど、“遺書”に関しては原曲のコードとメロディを一回、黒沢さんに全部投げたのを、黒沢さんがそれをかなりシンプルにアレンジしたものをバンドでさらにアレンジするという手法をとったんです。ちょっと変わった手法というか。
■黒沢さんがシンプルにしたのをどう思いました?
佐藤:僕らは違和感なかったですね。黒沢さんはNON’SHEEPの良い意味でのアレンジ能力と、悪い意味でのアレンジ能力を最初から見抜いてくださってたので、その良い部分を引き出すために、一旦凄くシンプルにして、そこからやったので良い部分が出たのかなと。最終的に黒沢さんと微調整しましたけど。永井さんとは黒沢さんから学んだ事を他の7曲に消化しつつ、レコーディング・スタジオで永井さんと一緒にアレンジをしていきましたね。やり方としては全然違いましたね。
■その良い意味と、悪い意味でのアレンジというのはどういう違いですか?
佐藤:曲の中で奇抜な事をやろうとするタイミングが良い時と悪い時があって、ここでそれをやってもしょうがないとか、そういう部分が削ぎ落とされて、今作がポップとか、歌が入ってきやすい感じになったと思います。
■確かに、気をてらった感じは聴いても分かりますからね。田子君はギター上手いので、テクニカルな弾き方を全面に出すとか考えられそうですけど、そうではないと。
佐藤:そうではないですね。まぁ充分弾いてるとは思うんですけど(笑)。それもひとつの武器ではあるので、それを無くしてしまおうという発想ではないので。
■もちろん、逆に普通に聴こえて凄いというか。
佐藤:はい。かなり弾いてるとは思います。
■ところで、NON’SHEEPはいわゆる「ギターロック」に括られると思いますけど。
佐藤:大きくはそうですね。
■でも、佐藤君の特徴ある歌詞と田子君のギターで、且つ、聴きやすいポップ感を持ったバンドってそういないと思うんですよ。
佐藤:僕もいないと思ってます(笑)。やっぱりいっぱいバンドがいるし、今ってネット上とかで簡単に聴けるじゃないですか。みんなが個性を出して、クオリティの高いものを作っていく中で、自分達は何が勝てるだろう?というのを突き詰めた3年間でもあったかなって。そう考えても、あんなにギター弾ける人はいないと思うし、NON’SHEEPみたいな角度から世界を見てるバンドもいないと思ってます。見ているものは同じでも角度が違うんです。
突き放すでもなく、押し付けるでもなく、ただ寄りそう
■“遺書”は改めて、名曲ですね。重いテーマと言葉で綴ってはいても、決してネガティヴには響かないという意味でも。
佐藤:基本的なところで言うと、ネガもポジも無いと思っているんです。僕はよく「寄りそう」という言葉を使うんですけど、突き放すでもなく、押し付けるでもなく、ただ寄りそうというニュアンスを歌の中で出すのが僕の中でかなり重要なテーマなんですよ。そういうニュアンスが出ている歌詞って、そんなに無いなと思っていて。
■世の中を見渡してもですね。
佐藤:はい、音楽だけに限らず。小説もそうだし、芸術の世界でも。そういうものを自分は探しているし、作りたい。
■“遺書”の「拝啓、どれくらい最低な気分?」と、問う部分も寄りそう感じします。
佐藤:全部、そういうつもりで書いてますね。
■そこが僕は聴いてて落ち着く感じなのかなぁと。聴いて興奮するとか、悲しみに浸るとかではなく、落ち着くなんですよ。
佐藤:あと「無関心さ」というのが自分の中で重要で。今回、アルバムのタイトルが『その手は無関心に僕を救う』ってタイトルになってるぐらい。「無関心さ」を突き詰めて行って、今回、そのタイトルになったんです。――僕、読書が好きなんですけど、かなり前に読んだカミュの『異邦人』の中で、最後に主人公が死刑判決くだされて、死刑台に立つ前に「私は初めて、世界の優しい無関心に、心を開いた」って一節があるんです。その言葉があまりにも自分にしっくりきて「これだよな」という感じがずっとあって。そういうものを求めながら音楽聴いたり芸術に触れたりしてるんですけど、その中の1人として、今回、ライナーとか書いていただいた中村文則さん(小説家・第133回芥川賞受賞作家)も、僕の中ではそれを体現している1人なんです。「無関心な優しさ」って微妙なニュアンスが「寄りそう」ってことに繋がるんです。
■無関心と言うと、一般的には悪いイメージですけどね。
佐藤:はい。でも、肯定するでも否定するでもなく、ただ横に居てくれることって無関心とも言えるじゃないですか。そこに救われるっていうのが僕はあるんですよね。
■そのニュアンスは解ります。佐藤君の場合、「絶望」や「不安」や「悲しみ」を何年も前から直視しているので、きめ細かい感情を言葉にできるんでしょうね。歌詞を字面だけ読むと、凄く重くて、聴く人によってはあまりにも真実なので、辛い人もいると思うんですよ。それを寄り添えるように音楽にしている、とも言えますかね。言葉の重たさや鋭さをぶつけようとしてないですからね。
佐藤:してないつもりですね。
■聴き手にメッセージとして扇動していない。
佐藤:そこがNON’SHEEPの良さで、伝わりづらさでもあって。自分の中では時間かかるなと腹をくくったんです。これを伝えるのは容易ではないなと。やっぱりジワジワ噛み締めるものだし、聴き手に対して能動的に突き放すでも抱きしめるでもないし。
■でも、そういう表現の伝わりかたが、今は重要な気がするんですよね。
佐藤:僕もそう思います。
■今の時代、日本という国のダメな部分が次々と浮かび上がってきてますよね。政治も経済も、社会的にも治安が悪くなってきたり、色んな秩序が崩れて悪い面が浮上している時に、上辺だけの言葉や分かりやすいメッセージがあって。例えば、ただ「がんばろう日本」とか、根拠もなく「大丈夫」という言葉に違和感を感じるような。
佐藤:違和感を感じる人は絶対、いますよね。
■そういうざっくりした、もの言いだけじゃなく――。
佐藤:冷静さみたいなものですかね。
■それが無関心と言える部分かもですね。
佐藤:立ち返るとそうかもしれない。だから、3月11日に震災があった時に、NON’SHEEPの動きとしては、バンドの持ってる特性が出たなと。ショックが大きくて表現活動をする気力がなくなったのはもちろんあるんですけど、それは他の方も多かったと思うんです。表現活動をする事に対して疑問を感じたり。
■無力感が押し寄せるような。
佐藤:そこで音楽をやってる人間として何ができるだろう?って、立ち上がってる人達がたくさんいる中で、アーティストとしての規模の違いもあるけれど、少なくとも自分が考えたことは、何ができるか?より、何をしてはいけないか?をまず考えたんですよね。そういうタイミングで被災地の方々を励ますような音楽をインターネット上でUPして、みんなを癒そうと動いてる方々がいる中で、それによって100%の人が救われるわけでもないじゃないですか。聴きたくないって方もいるだろうし、その歌詞の一部分を聴いて、不快な思いをするかもしれない。それはやってはいけない事だって、自分の中であって。
■もちろん、皆さん善い事だと思って、やった事だとしてもですね。
佐藤:そうそう。実際、救われている方もいるし。でも、自分達はちょっと違うなと。それはバンドの持っている特性で、NON’SHEEPがすべき事ではないなと。でも最低限できる事をやろうと思って、NON’SHEEPの音楽を求めてくれてる人達に何か届けられないかと思い、NON’SHEEPのメールマガジンに登録してくれた人が音楽を必要としていればダウンロードできるという方法をとったんです。曲は僕が書いて弾き語りで。それが「寄り添う」ということかと思って。
■それは、その時だけの曲ですね。3.11以降で、悪い面として浮かんで来たのが、今も絶望の中にいる人もいるのに、それが見えてない人が多いこと。政治家とか評論家が特に。なので、どこか画一化されたような社会にしている部分もあって、それがよくない。
佐藤:そうですね。難しいですね。
■被災された中には絶望の淵にいる方々もまだ大勢いると思うし、そういう人にNON’SHEEPの表現は、そっと寄りそえると思うんです。無意識で作ったとは言え。
佐藤:僕もそう思ってます。
■希望の光も見えないかもしれない、想像できないほどの絶望の中で「がんばろう」とか「大丈夫」と簡単に言うことで済まされるような、そういう人だけじゃないと思うので。
佐藤:ケース・バイ・ケースだと思うんですけど、扇情的に煽る事のほうが分かりやすく伝わるし、目立つので。そういう扇情的なものって、ある程度の速度がついてるものに対して、それを加速させ、力を発揮できるとは思うんですけど、一概には言えないのかなって。だからやっぱり何かを表現する上で、自分のパーソナルな部分もあるんですけど、伝えるという意味で、相手の気持ちを考えるので。何か言葉をかける時って、相手の状況とかを把握した上で、言葉をかけようとして、色んな事を考えるほど、大抵かけられる言葉って無いと思ってしまうんですよ、僕は。落ち込んでる相手に「大丈夫だよ」とは言えない。相手との関係が凄く密でない限り、かけられる言葉ってそう無い。そんな密な関係も自分は、そんな何人も作れないと思ってるし。そういう中で何ができるだろう?って考えると、やっぱり「寄りそう」って所に立ち返ってしまうんです。それが言葉を紡ぐ上でも根幹にあるというか、自分がそういう人間だから、どういう立ち位置で音楽があってほしいかって想像すると、やっぱりこういう表現になってしまうんですよね。
■そういう接し方があることもみんな分かってると思うんです。けど、理不尽な事も起きている社会なだけに、簡単に済ませてはいけないと思うんですよ。色んな接し方があって当然なのに。震災の復興も原発事故に対する補償も、実は繊細な部分が多いはずなのに“被災者”という一括りのもと画一的な接し方をしようとする。そういったことへの違和感は以前からあったと思うけど、特に3.11以降、みんな気づき出してきた感じもするんですよね。
佐藤:少しずつですけど、そういう気がしなくもない。
■繊細な気遣いとかが大切だってよく思いますからね。
佐藤:そういう活動をしている人もいるんですけど、なかなか日の目を浴びないという現実もあって。寄りそうという意味で、例えば政治家がただ寄り添って何もしないなら「何もしてねぇじゃないか」って言われちゃうから(笑)、とりあえず何かしなきゃいけないって状況に追い込まれてる状態もあると思います。音楽とか芸術では、そう言われないですから。
■決して何かゴールがあるわけではないですからね。
佐藤:あるわけではない。こちら側の正解はあったとしても。だから「寄りそう」という微妙なニュアンスを表現している以上、そこを人に伝えるのって難しいですよね。
■「寄りそう」って、凄く良い言葉だなって思います。震災とかあった時も「ひとつになろう日本」ではなく「ひとつに寄りそう日本」のほうが……ひとつになるのは良いと思うんですよ、大変な時はみんな協力し合って。だから、ひとつに寄りそえたら素晴らしいことだなって。
人が空いた席に行くんじゃなくて、人がいない所に椅子を作る
佐藤:難しいのが、色んなことを考えると何も否定できなくなる。それもどうなんだろう?(苦笑)と思いながら、何も答は出ないままで。……僕は全然真逆なものに見えて引っかかってる言葉があるんですよ。宮崎駿さんが映画を作る時に「僕はすべてを肯定したい」と言ってて。それって何となく、凄く良い言葉な気がする。
■宮崎駿さんが言うから、良いというのもあるでしょうしね。
佐藤:そう。でも僕が「何も否定できなくなる」と言うのと、意味としては一緒じゃないですが。だからそれを言い切れる宮崎駿さんは凄いなって。すべてを肯定したいために映画を、アニメーションを作ってるというのは。僕はちょっとそこまで言い切れない。もう少し消極的な立ち位置で音楽を作っているんですけど。
■まぁ宮崎駿さんもすべてを肯定できないから、そう言ってるのかもしれないし。
佐藤:それはあるかもしれないですね(笑)。そうなりたいというか、僕にはこうなりたいっていうのが無いんですよ。だから、ちょっとネガティヴに捉えられやすい。
■言葉の意味としては同じでもですね。一般的にNON’SHEEPはネガティヴに捉えられると思いますよ。言葉にしろ、表現しているものも。よく聴くと決してそうではないのは解るし。今の時代にしっくりくるのかもしれないです。
佐藤:まぁ人によっては、ドライだって捉え方をするかもしれないですが。
■確かに。でも、それで救われる人もいるわけで。
佐藤:実際、僕自身がそうなので。そういう芸術に救われてきたので。
■だから、そのドライだと思える方の解釈だと、もっと装飾されたような言葉のほうが一般的なのかもしれないですね。
佐藤:そこが基準としてあるんですかね。でも、ひとつの選択肢としてNON’SHEEPがあればいいわけで。そういうニュアンスのものが、あまりに少ないかなって僕は思うんです。
■そうですね。今の音楽とか分かりやすく、当たり障りない歌詞で気分に酔えればいいというのが基本ですからね。
佐藤:それか、凄く奇抜かのどっちかで。
■J-Popは歌詞に関してだけでなく、もっと好きにやればいいのにとは思いますね(苦笑)。
佐藤:好きにやってないんですかね。
■好きにやってる人もいるんでしょうけど、なんか既に聴いたことある感じとか多いじゃないですか。
佐藤:ああ、既聴感みたいな。
■それが90年代以降、繰り返されているような。別に新しい・古いとかではなく、本心でそう思って歌ってるの?って言いたいんです。
佐藤:なるほど。すり寄っていく感じですか?
■そうですね。寄りそうと言葉は似てますけど、意味は全然違いますね(笑)。こういうの好きでしょ?って、すり寄って来る感じも既に飽きられてるような。
佐藤:ああ、そうですね。
■みんな簡単に聴けるようになった分、飽きられやすいような。その深く聴かない感じが、CDを買わないとかに繋がる気がして。NON’SHEEPもそうだし、色んなアーティストの表現がちゃんと捉えられていない、深く聴いてもらえてないまま済まされている感。
佐藤:あ、そういう感がありますか?
■それはリスナーよりも、簡単に聴けるとか世の中の流れとして、それが一般的になってるので、そうさせてるような空気が悪いというか。
佐藤:だから、時間かかるなっていう(笑)。
■アルバム自体で聴くというのも少しずつ崩れてきてますし、アルバムごとの世界観はNON’SHEEPみたいなバンドだと特に必要だと思うので。
佐藤:うん、そうですね。
■とは言え、ここ最近は音楽シーンのみならず、色んなジャンルの方々から支持を得ているようで。
佐藤:はい、恐縮ですが。
■中村文則氏(小説家・第133回芥川賞受賞作家)、又吉直樹氏(お笑い芸人・ピース)、緒方貴臣氏(映画監督)、寺脇研氏(京都造形芸術大学教授・映画評論家・NPO教育支援協会チーフ・コーディネーター)、ロブ@大月氏(フリーライター・虐待DVハラスメントアドバイザー)という方々のコメントを読むと、皆さん、それぞれの解釈で素晴らしですし、気づかされますね。
佐藤:そうですね。やっぱりこちらからも気づいてくれるだろうって方にアプローチをかけたのもあります。別にそれは音楽業界に括る必要はないし、逆に違うジャンルの方のほうが先入観なく作品を聴いてくれると思ったので、こういう多方面の分野の方々からコメントをいただいたんです。やっぱり捉え方も違うので気づかされる部分も多いですし。皆さん、NON’SHEEPのメッセージを深く考察していただけていますし。
■だから、伝わる人には伝わるんだなって。
佐藤:なので自分達の自信にも繋げているというのもあるし、色んな人に気づいてほしいという足掛かりとしても、リスナーの背中を押していただくという意味でも重要ですね。
■それで聴いたリスナーも変な誤解はしないでしょうしね。
佐藤:そうですね。やっぱり、コミュニティみたいなものはいっぱいあって、それぞれは小さいんですけど、そういう所に僕自身も顔を出して、色んな方の話を聞いて。元々、自傷行為・リストカットをしていたり、自殺未遂をしたことがある方の話を聞いていると、やっぱり「寄りそう」っていうのは、かなり重要なことなんですよね。
■より精神的な部分が大きいわけですしね。
佐藤:ただ何も言わずに側に居てくれるのが、精神を安定させるという意味では、ただ横居てくれるって人が居るか、居ないかではかなり違うって話はかなり聞くので。
■佐藤君は何年も前から、そういう部分を歌ってきましたが、より実感としてそう思ったわけですし。
佐藤:最初は自分自身がそうだったってところから始まって、色んな人の話に共感していったというのもあって。自分の中でも、歌やメッセージに対する裏付けを自分の中で作っていくという作業を、この3年間でずっとやっていたというのもありますね。
■ほんと、着実に活動してきた感じですね。
佐藤:まぁそうですね(苦笑)。
■それで結果的に、人がやってない所に来てるような。
佐藤:それはあります。最初はどこか分かりやすいジャンルにカテゴライズされて、ポスト○○○とかって言われた方がリスナーは分かりやすいし、そのジャンルが好きな人なら聴くし、そういうひとつのセオリーがあると思うんですけど、NON’SHEEPはもう何も無い所に行こうかって話し合いをしてからアルバムを作り始めたんですよ。人が空いた席に行くんじゃなくて、人がいない所に椅子を作って座っちゃおうよって。
■それも有りだと思います。価値観がどんどん変わってきてるので、もう二番煎じみたいのだと、すぐに化けの皮を剥がされる気がします。
佐藤:それはそうかもしれない。たくさんい過ぎて、ある程度のラインまでしか行かないような。
■それにネット中心の情報化社会というのも大きい。何か目立つと出る杭は打たれるような。だから今は生きづらい世の中だと思いますよ。ネットとか特にそうで、下手なこと言えないし。
佐藤:うん、そうですね。匿名だとなんでも言えますけどね。
■それも良くないですし。だから余計複雑というか。本質的には関係無い話ですけど、そういう時代の中でもNON’SHEEPの音楽は、気づいたら深く聴いてて、そういう人達から拡がっていくのかなって思います。
佐藤:そう思います。365日ずっとハイテンションの人はそういないと思うし(笑)。
■こんな時代にリリースされる事はとても意義があると思います。――今後の展望としては?
佐藤:今年は弾き語りも入れてライヴを最終的には90本ぐらいやることになるので、怒濤のライヴ期間は年内で一旦終わって。まぁでも、今やってる事の延長線上の末広がりみたいな動きになると思います。
■ライヴでNON’SHEEPに出会った人の中には、きっとかけがえのない音楽になる人も多いでしょうね。そういう音楽ですし、時代に必要とされている音楽だと思うので。必然的に拡がっていくんじゃないかと。それにNON'SHEEPは、まだまだ出会うべき人たちがいるはずですからね。
Interview & Text : 田代 洋一
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3rd ALBUM「その手は無関心に僕を救う」リリースツアー
羊小屋からの伝言III
10/11(火)西川口HEARTS
10/13(木)稲毛K's DREAM
10/22(土)宇都宮HELLO DOLLY
10/23(日)前橋DYVER
10/28(金)水戸LIGHT HOUSE
《ツアーファイナル・ワンマン》
羊小屋からの伝言III FINAL
11/6(日)下北沢GARAGE
OPEN 18:30/START 19:00
前売 ¥2500/当日 ¥3000(D代別)
※GARAGE店頭販売(15:00〜22:00)、
ローソン(Lコード:70867)、他にてチケット発売中
その他、詳細は http://nonsheep.com にて |
『その手は無関心に僕を救う』
10/19 Release
stock farm
SFCD-001 |
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