竹原ピストル


野狐禅時代から、全国を旅し歌い続ける、竹原ピストルのこれまでと
『SKIP ON THE POEM』を生み出し、自由になった今後を語る

 

 99年、竹原ピストルと濱埜宏哉により〈野狐禅〉結成。03年、スピードスターレコードよりメジャーデビュー。08年にアルバム『野狐禅』発表し、そのツアー全41公演のツアーファイナル(09年4月の札幌)を以って解散。竹原ピストルはすぐさまソロ活動開始、09年6月にミニアルバム『オールドルーキー』を発表。翌10年6月、フルアルバム『BOY』を発表。旅をしながら歌うスタイルを確立する。今年3月、大地震が起こった日に福島にいた竹原は、急遽、ミニアルバム『復興の花』を制作し3月よりライヴ会場にて販売。先に完成していた2ndフルアルバム『SKIP ON THE POEM』を4月に発表。今年6月公開の映画『さや侍』に出演。また、松本人志監督との共作で作られ竹原が歌う『父から娘へ 〜さや侍の手紙〜』を7月リリース 。
  日々、ツアーで全国をかけまわる竹原ピストルをつかまえ、これまであまり明らかにされなかった、野狐禅の解散から、ソロ活動を始めたこと。そして、現在から未来のことまで、ガッツリ語っていただいた。誌面の『音楽を続けるということ』とは別に、web完全インタビューをお届け!


自分の気持ちに素直に動かなければ、逆に失礼だなと思って

■遡ってお訊きします。野狐禅は、1999年に結成した当初からあのスタイルだったんですか?
竹原:
僕は中学時代からアコギと歌みたいなことはやってて。相棒になる濱埜宏哉に「何の担当になる?」って話で、たまたま濱埜の家にエレピがあったんで、「それでいいんじゃねえか?」で始まったんです。そこでエレピとギターとヴォーカルという編成が決まったんです。
■では、特に鍵盤を入れたかったわけではなく?
竹原:
そんなんじゃないですね。濱埜がベースを持ってたら、ベースとアコギだったでしょうし、そこはかなり適当でしたね(笑)。とりあず、何かやりたい!っていうのが先だったので。
■そうなんですね。野狐禅が出てきた時のインパクトで、あのスタイルが凄くカッコいいなと思って。
竹原:
スキマスイッチか野狐禅かぐらいですからね(笑)。
■ちなみに僕は野狐禅を知ったのは2003年頃でしたが、あの頃、アコギと鍵盤と歌で刺さるような表現って、ほとんどいなかったと思うので、結構、確信的にやっていたのかなって。
竹原:
うーん、でもそこで、一緒にやろうってのが濱埜しかいなかったし、濱埜はピアノしか持ってなかった。あと歌えることが、それしかなかったっていうのが野狐禅だったと思います。もう本当に、何かやんないとマズいだろみたいな思いしかなかったから。
■竹原さんは、1人で歌う弾き語りとは違うものとして野狐禅を組んだんですか?
竹原:
全然もう別モノでした。なんちゃってオリジナル・ソングを1人で演ってて、大学を卒業した後に「なんもねーぞ」ってとこで野狐禅をやることになって、そこから本当の意味でのオリジナルを書くようになった。それまでとスイッチは完全に入れ替わりましたね。
■では野狐禅で、音楽で食ってこうという気で?
竹原:
1年、一生懸命やってみて、どこからも声かからなかったら解散しようって思ってました。
■そういう意味では、オフィスオーガスタっていう大きな事務所から声をかけられ、メジャーデビューもして、ある意味、トントン拍子でしたが、ご自身としてはどんな心境でした?
竹原:
ほんとに爽やかな気持ちで「俺たちにしては頑張ったよな」って1年経とうとする時に、突然そんな話が来たんで「え!いいの?」みたいな。
■数年間、メジャー・シーンで活動されますが、その頃の居心地としては?
竹原:
うーん……メジャーって簡単に言えば仕事の分業じゃないですか。ブッキングする人がいて、CDを宣伝する人がいて、ライヴを宣伝する人がいてって、チームが一気に増えるわけですよね。だから、味方だっていうのは解ってるんだけれど、なんかこう、凄く長い箸で豆をつかもうとしてるような歯がゆさもあったんですよ。「そんなもん、俺らでやるよ」とか、常にありましたね。だけど、テレビとかラジオに出るとかは自分ではとても手に及ばない仕事なので、そういうのを持ってきて頂けたのは、ならではの経験だったかなと思ってます。地に足着いてないからイライラしてたっすよね。
■なんとなくピリピリした感じは、外から見てても窺えたので、それが歌にも表れてるなぁとも思ってました。
竹原:
多少、そういうのもあったと思いますね。
■ただ、そこでの経験は、やっぱり今に繋がってる部分はありますよね?
竹原:
もう冷静に「あの時にあの人がこういう仕事をしてくれて、こうだったからああだったんだ」って、ちゃんと自分の中で整理できてる部分はあるので、今思うと、あんなにイライラしてたのは、単に自分がガキだったからだなって思ってますね。
■若気の至りというか。
竹原:
はい。解ってもねぇくせに、ただ反発してなかったかって、自分に問いかけたりする時もありますね。
■その後、契約が無くなりインディーズでやりますが、その流れは自然に?
竹原:
それは「事務所を辞めさせてください」って。
■あ、自分から言ったんですね?
竹原:
そうです。「独立しようと思います。今までありがとうございました」って形で辞めて、「2人でやってみっか」と始めた感じっすね。それは、さっきも言った「それなら自分たちでできるよ」ってことなのかな。ミュージシャンがやるべき事だけやってけばいいんじゃないの、ライヴも自分でブッキングしてやってけばって。インディーズからアルバムを1枚出したんですけど、それも人伝でWESS RECORDSさんに相談して作ったっすね。
■2009年に野狐禅は解散しますが、結構、あっけなく終わった印象があります。本人たち的にはどうだったんですか?
竹原:
どうだろ? 濱埜はまた別な視点で野狐禅を見てたと思うんですけど。野狐禅を始めた頃の「これしかなかった、これ以外は歌えないんだ」っていう部分が、年月が経つに連れて、いつの間にか、野狐禅が野狐禅であるために必要な要素というか、野狐禅はこういうことを歌ってるからこそ野狐禅なんだよ、ってこだわりだったりに、ある種、誇りを持つようになってたんです。日が経つに連れ。だけど「それしかなかった言いたいこと」っていうのが、どんどん枝分かれして増えていったんです。
■でも、まぁ普通はそうでしょうね。
竹原:
そう、至って当たり前のことなんですけど、でもいつの間にか「これ、やっちゃって野狐禅かな?」っていう。
■自分達の色を、自分達で決めちゃったような?
竹原:
そうですね。俺達はこういう色、だけど他の色も出せるようになってきてたけど、それ歌っちゃったらなぁ…というこだわりと、「俺と濱埜が野狐禅だ」ってやってれば野狐禅なんじゃないの?って部分での葛藤ですかね。そんなもん、さっきおっしゃってたように、そうなっていくのは当たり前なんだけど、それが許せなかったんですね。
■それは、どちらがそう思ってたんですか?
竹原:
それは両方でしたね。
■ということは2人とも、野狐禅のスタイルを守りたかったと。
竹原:
あったっすね。それはもう東京出たばっかりの頃から、ちょいちょい話してましたね。俺も濱埜も曲書くし、それをレパートリーにするか?しないか?という時間が生じる時に、そういう話になりましたね。なんか違うかもしんないぞ、とか。
■2人とも野狐禅というバンドを、見え方も含めて大事にしてたんですかね。
竹原:
うん、そうだし。やっぱり結成の仕方からしてドラマチックだったし。「俺たち、何もねぇぞ。こんなんじゃダメだ!」っていうドン底の精神状態だった時に、ひょんなきっかけで大学卒業後に再会して「よっしゃ、こっからやるか!」みてぇな結成だったから。そういう部分を俺は未だに忘れられないですね。
■簡単に言ってしまいますが、それは青春ですね。
竹原:
青春ですよ。もっと身も蓋もなく言ってしまうと、何かやるぞ!って野狐禅始めた時点で終わってたバンドでもあると思うんです。ある種、行動しなきゃダメだ!って思いから野狐禅を組んで、行動し出した時点で、ひとつ何かが完結していたと思う。そういうデュオでもあったかなと思います。
■宿命を負って始まったから、それを惰性では続けられないような?
竹原:
惰性では続けられない。あの頃は、って話になるのは嫌ですけど、もう、どうやりゃプロになれるのか分かんなくて、毎日同じような街で、とにかくライヴを。ステージに上がって歌って。それが何かに繋がってるのか分かんないけど、わけ分かんねぇ加速で日々を過ごしていた、あの頃っていうか、あの感じ…。
■北海道で、やたらライヴを繰り返してた頃ですね。
竹原:
はい、やってました。あれを未だに目安にしちゃうというか。なんか毎日凄かったなって。
■ちなみに濱埜さんも現在、音楽活動されているんですよね。
竹原:
濱埜は1人で弾き語りやバンドでライヴ演ったり、楽曲提供をしたりですね。東京で。
■連絡を取って、会ったりは?
竹原:
たまにメールで連絡を取ります。俺がいつもあちこち行ってるんで。


やっぱプロ・ミュージシャンになろうかなって

■野狐禅が終った後、竹原さんはすぐ動き出したのが、ちょっと意外でしたが、それはもう次に向かってたからですか?
竹原:
そこが自分でもコントロールできなかった部分で。とりあえず旅が好きなもんですから、ライヴ活動とか抜きで、移動手段何でもいいから放浪しようと、旅をしようと思ったんですよ。とにかく身も心も一回、真っ新にして、気の赴くままに旅をしようと思ってたんですけど、何でしょうね? やめた途端にやっぱり、野狐禅を解散したことによって――ましてや僕から切り出してますから。
■あ、そうだったんですね。
竹原:
はい。「これまでもそういうこと話してきたけど、そういう部分が辛いから、もうこのツアーでやめたいです」って。それもあって、人にも色々言われましたね。「もったいない」「応援してたのに、期待してたのに」とか、そういう声は幾らかあったので、「俺は間違ってねぇよ。これからの方がもっとスゲーぞ!」っていう妙な沸き立ちかたはあったっすよね。
■そんな批判みたいなのをバネにしたと。
竹原:
うーん、そんなに良いふうに捉えてなかったですね。「今に見とけ!絶対に天下獲ってやっから」って気持ちがブワッと沸き上がってきて、野狐禅解散して数ヶ月で『オールドルーキー』っていうミニアルバムを発表したんです。
■その音源を作るのも早かったですよね。
竹原:
その『オールドルーキー』は、ものの3〜4日で録ったんですけど、僕は正直、その時の事があまり記憶に無いんですよ。だからほんとこんなん(視野が狭いジェスチャー)なってたのかなぁ。
■野狐禅の後にすぐ曲を作って、動き出すまで夢中だったんですかね。
竹原:
そうですね。自分でもこんなに早くかい、って思ったし。でも何か作って、何かやり出したいという気持ちを持ってたから、野狐禅の解散っていうほとぼりみたいなのが冷めるのはいつだろ?っていう計算こそ、失礼だと思ったから。ぶつかる人がいたらナンボでもぶつかるよ!って気持ちで、自分の気持ちに素直に動かなければ、逆に失礼だなと思って。……理屈じゃない部分で、それこそ野狐禅始めた時みたいなことかもしれない。あまり考えずにバンバン行動してた時期でもあったかなと。
■そうやって野狐禅が始まったように、衝動を取り戻したような?
竹原:
同じではないですけどね。そうせざるをえなかった心境ですかね。「この感じ、なんか懐かしいぜ」とも思わなかったし。今、何年か経ってふり返れるから整理してしゃべれますけど、その時に取材受けてたら何も答られなかったかもしれない(笑)。それぐらい狭く夢中になってた気がします。
■竹原さんの場合、その突き動かされる何かが原動力になってると思いますが、それって反発するような部分ですかね。
竹原:
うん、反発ですね。
■こうやって話すると物腰やわらかいんですけど、そういう部分が根底にあるんですかね。
竹原:
そういう反発心みたいなのですかね? うーん……。
■やってる事も、他の人とは外れたスタイルでやってると思うんですよ。
竹原:
そこはこだわるっていうか、もう絶対、人と違うのじゃないと嫌だと思ってて。自分の歌に込められた思いみたいなのは、誰が好きとか夢がどうとかベタだと思ってて、その言い表し方とか、パフォーマンスの仕方とかは人と同じじゃ嫌だっていうのは凄く強いです。
■それもあって、活動の仕方もオリジナルというか。これだけ旅をして歌い続けてる人って、まぁ遠藤ミチロウさんとかもいますけど。
竹原:
うん、ミチロウさんはやっぱ僕、憧れてますからね。
■とは言え、そんないないじゃないですか?
竹原:
ライヴやってる本数は多いほうだと思います。
■今回も凄い数ですしね。毎日旅をして歌って、それで食っていくというやり方を選んだわけですね。
竹原:
うん、そうですね。
■そこが凄いなと思うんです。それは保証が無いじゃないですか。
竹原:
まぁそうですね。
■それでもやるっていう確信は何だったんですか?
竹原:
いや、だってもう野狐禅を解散したの33歳ぐらいですけど、気がついたら他の事できないですもん。
■例えば、就職するとかですね。
竹原:
完全に無理だし。したくないじゃなくて、できないんですよ。野狐禅を解散した後、ちょっとバイトとかしたけど、流れ作業にもついて行けないし、なんでこんななったかなって(笑)愕然とするほど何もできなくて。だから、やっぱプロ・ミュージシャンになろうかなって。
■ずっとプロ・ミュージシャンだと思いますが。
竹原:
そうすかね? でも一時期、金が無いと生活できないって思った時に、稼ぐためにバイト雑誌とか買ってくる時期もあったので、それはプロじゃない気がして。やっぱプロって、金稼ぐって時に真っ先に楽器取る奴がプロ・ミュージシャンだと思うから。そういう意味で、もうプロ・ミュージシャンでやろうと思って、旅をして歌い始めましたね。
■ブッキングも初めてのお店とかに全部、自分で電話したりして?
竹原:
そうですね。でも人伝の所も多かったので。それこそミチロウさんに紹介してもらった小屋とかナンボでもあるし。もちろん自分で資料送って、初っぱなはオーディションを受ける感じもあったり。
■今回、リリースされた『Skip On The Poem』の“最終電車は次の街へ、そしてまた次の街へ”で歌ってる内容そのままですね。素朴な疑問ですが、それで食っていけるんですか?
竹原:
食っていけます。
■そうなんですね。歌ったギャラで、交通費と宿泊費も全部まかなえると。
竹原:
はい、まかなえます。いわゆる贅沢はできないですけど、暮らしてはいけます。
■となると、あとはそういう状態に踏み切れるかどうかですね?
竹原:
踏み切るっていうか、まずそれが好きで、楽しくて楽しくて。踏み切るではなかったですね。
■竹原さん的には自然な流れで?
竹原:
そうですね。例えば大阪で一本誘われたら、日帰りじゃ赤字になるから、間や帰りを埋めてですね。今は一筆書きで行ける小屋は増えましたって話なので。最初の頃は、とんでもないV字行程でやってたんですよ。
■あとは体調さえ崩さなければ可能ですね。
竹原:
はい。精神的にはもう全然問題無く。


『復興の花』……天災に対して、あくまで個人的な気持ちなんですよ

■去年、『BOY』というアルバムを出しました。今年、『Skip On The Poem』を出しました。その前に『復興の花』というミニアルバムも出しましたが、これはたまたま地震の日に福島にいたのもあってで。その日はどういう状況でした?
竹原:
福島市でのライヴ当日で、スーパー銭湯の食堂にいたら地震が来て、建物の外に出てくれって言われて。それでライヴは中止ってなり、街を歩いてたら「今日、ライヴ行く予定だったんです」っていう若者に会って、「泊めてくれ」ってお願いして、そいつん家に泊めてもらいました。
■停電になってましたよね?
竹原:
停電でしたね。真っ暗なセブンイレブンでロウソクと電卓でやってる中、酒買って、そいつと飲んでたっていう過ごし方でしたね。
■まぁそこで足止めをくったと。
竹原:
そうですね。で、途中から歌唄いの友達が連絡取れるようになって、そいつん家によせてもらいつつ、水とか全部アウトだったので、トイレだったりを借りに避難所になってた小学校に通ってたんですよ。こんなこと言っちゃアレですが、とにかく暇なんですよ。状況が分からないし、動きようがないから。その小学校に避難して来た爺さん婆さんと話したり、子供達とサッカーして遊んだりっていう3日間を過ごしてたら、東京行きのバスがとれたので帰ってきたんです。
■その暇だった時に『復興の花』を作ったんですね?
竹原:
福島市で。歌詞はサッカーやってる時とかに頭の中で書いて。
■それはやっぱり思うところがあって、歌にしなきゃって感じだったんですか?
竹原:
歌にしなきゃっていうか、タイトルこそ『復興の花』ですけど、内容は地震にあまり関係無いですよ。僕の中でテーマというかは子供達ですね。子供って、どんな状況だろうと、ほんと元気なんだなぁって感心して。とんでもない事になってても、はしゃいでキラキラしてて、実は凄く逞しい存在だなぁっていうのが歌になっているんです。だから、震災があっての思いというよりも、その場で自分が出くわした事を歌っただけですね。きっかけとしては、地震があって足止めくった時に書いたから、『復興の花』という名前を付けました。
■6曲目に“三河台小学校の校庭で、〜中略〜した話”という朗読も入ってますしね。
竹原:
はい、その時のことを。いつも詞を書いたり曲作ってる時も、視界はギュッと狭いんですよ。大震災あって日本中がこんなことになって、ヘタすると世界にも影響があって。でも、そこまでは見れないんですよ。もう計り知れない、ピンと来ない。だったら、そこでサッカーした子供達を歌うし。
■その『復興の花』の売上げは、被害のあった街に寄附されるようですね。
竹原:
そうですね。あくまで個人的な気持ちなんですよ。天災に対して「なに、ライヴ中止にしてくれてんだ、このやろ!」「東北にいる俺の友達に辛い思いさせやがって、このやろ!」という怒りから作って、チャリティー盤にするって思いましたね。
■そういう感覚なんですね。震災以降、色んなミュージシャンがチャリティー・ソングを作っている中で、その個人的なやり方は、なんか竹原さんらしいなと思います(笑)。
竹原:
もう全然、周り見えてないですよ(笑)。「ふざけんな、このやろう!」って、もう腹立って、何をやってくれてんだ!って思うんです。
■それに、あまり復興が進んでないですしね。
竹原:
進んでないですね。とにかく原発も不気味だし、ガレキの撤去だって進んでないし。新聞とか読んだりすると、なんか、とにかく金がかかるなら「なんだよ、金を送ればいいだろ?」みたいな気持ちになって。そういう端的な事しかできない、それが確実なんじゃないかと思って。
■東北地方のライヴは振替公演も決まったようですね。
竹原:
決まったんですけど、中止になったものを一回やったぐらいじゃあ、とは思ってます。
■僕も前、福島Out Lineで竹原さんのライヴを観ましたが、また東北で観たいですね。
竹原:
いつもどおり普通に演るだけですけど。早く、そこの人達に会いたいなっていうのが先ですね。


日本だけじゃなくて、世界を年がら年中廻ってる歌唄いになりたい

■アルバム『Skip On The Poem』ですが、『復興の花』の前にはもうできあがってたんですよね?
竹原:
もうできてました。発売日を待つのみで。だから今年の冬に作ったような。
■それ以前からライヴで演ってる曲や、再録した曲もあって、僕が思うに「ザ・竹原ピストル」というような集大成的なアルバムだなと。
竹原:
もう、そうですね。音源として聴いた場合、賛否両論になるだろうとは思いつつも、竹原ピストルというスタイルみたいなのを先に出しておきたいっていうのはありました。詩の朗読から混ぜこぜの音源、もちろんそういうのは他にもあるかもしれないけど、改めて「こういう音源を作ったのは俺が最初です」みたいなのを出しておきたかった。
■これはなかなかの発明だと思いますよ。
竹原:
そう言ってくれたら、そんな嬉しいことは無いです。
■1曲目“ぼくのイマジン”から朗読で始まるのが身が引き締まるし、簡単にBGMにできないような。とは言え、途中の“ふうせんガム”とか“ひも”とかメロディを聴かせるゆったりした曲もあって。後半の“No More 人間関係”とかも、竹原さんしかできないような表現だと思いますし。“カウント10”から“Living”と、“最終電車は次の街へ、そしてまた次の街へ”への流れが、僕の中では完全に持ってかれる3曲ですね。
竹原:
そうですか。嬉しいです。
■こういうアルバムを一回、出しておきたかったんですね?
竹原:
そうですね。それもあるし、去年はこういうセットリストでライヴを演ってたんですよ。それをそのまま音源にしたらどうだろう?っていうのが先なんですよ。それを出したら、あまり人がやってない音源になるんじゃないかって。『Skip On The Poem』を出したことによって、俺しかやって演ってねぇえだろって事をやったから、次からもっと自由になれると思う。次は普通の歌モノが揃うかもしれないし。
■それは無いと思いますが(笑)。
竹原:
ハハ(笑)、それでもいいんじゃないかって。
■そういう気分になったらですね。
竹原:
そうです。もう全パターン出したぞ、じゃないですけど。
■もちろん『オールドルーキー』も『BOY』も聴いたら完璧ですが、この『Skip On The Poem』だけ聴いても、竹原ピストルさんはだいたい分かるのかなと。
竹原:
どんな事やってんの?って訊かれたら『Skip On The Poem』を出すと思うんですよ。そういうものはできたかな。
■“カウント10”はライヴで初めて聴いた時に、僕は純粋に泣けました。別にそれを狙った曲ではないと思いますが。
竹原:
そうですね。まったく。
■「泣ける歌」みたいな感じ、嫌いそうですしね?
竹原:
うん、嫌いですね(笑)。
■それは歌詞を読んでも分かりますが、僕は泣けたんです。
竹原:
まぁでもそれは素直に嬉しいんですよ。
■泣ける曲や感動させる曲の方が、一般的にウケると思うんですが、それを敢えてやらないのか、そうなってますよね。
竹原:
うんうん……これは答になってるか分からないですけど、自分の歌で人を変えたり、元気無い人を元気づけたり、勇気づけたりできると思ってる奴の歌ほどキモいものは無いので。俺はそこは踏まんぞとは思ってますよ。「人からチケット代とって時間かっさらってる乞食がよ」って思うんですよ。「歌唄い? 寄生虫みてぇなお前らが偉そうに、人のことを救えると思ってんじゃねえぞ!」「これは出し物だぞ、娯楽だぞ」って。もし、何らかの歌きっかけで人が奮い立ったら、それはその人に奮い立つ資質があったからだよって、俺は思うようにしてます。
■竹原さんが、そこを意識して、言葉を紡ぐとは思ってはいなくて。でも僕は感動したってことは言いたかったです。
竹原:
うん、それは素直に嬉しいんです。
■で、最後に“ぼくらのリズム”という、くだけまくった感じで終わるのもいいなと。
竹原:
はい(笑)。
■しかも、この曲が一番長いじゃないですか。
竹原:
長いっす(笑)。それ入れるか、入れないかで2枚組かどうかって会議にもなりましたから(笑)。
■この“ぼくらのリズム”に参加している方々は楽器も弾いてるんですか?
竹原:
そうです。ギターやベース弾いてくれてる人やレーベルの人だったり。いつものライヴでは1人で読んでるのをセリフを分けてやってみた。まさにオマケみたいな気持ちで作ったんです。
■今回、音が前より厚くなったように感じます。ベースが効いてんのかなと。ベースラインも竹原さんが考えるんですか?
竹原:
いえいえ、全然。もうお任せです。
■それはちょっと意外でした。
竹原:
「それでしょ。最高!」って(笑)、NGなんか出したことないです。それはもう濱埜もそうでしたけど、人間が先なので「君がやったことだったら、僕が何を文句言えようか」って気持ちになんですよ。
■『Skip On The Poem』の水野さんのベースは、かなりいいと思います。歌を邪魔しないでも、ちゃんと印象に残るフレーズという意味で。
竹原:
うんうん。
■音源は今後も、そういうふうに録っていく感じですか?
竹原:
そうですね。まぁ1年に1枚ぐらいは出したいかなって。
■今も新曲を作ったりしてますか?
竹原:
新曲、またいいですよ(笑)。いっぱいできてますね。
■あと、『父から娘へ 〜さや侍の手紙〜』ですが、映画『さや侍』はどういう感じで話が来たんですか?
竹原:
去年、福島のいわきでライヴが終わった後に、吉本興業の方が来て「松本監督の話を聞いてくれませんか」と。その後、新宿でのライヴを松本監督が観に来てくれて「こういう映画を作ろうと思って、こういう役をやってほしいと思ってて。で、朗読して途中から歌になるんだけど、それを一緒に作ってもらえないだろうか?歌ってもらえないだろうか?」って相談を受けてですね。
■元々、松本人志さんは野狐禅の頃からファンですよね。
竹原:
ラジオで野狐禅のことをおっしゃってくれてましたね。
■今回、一緒に曲を作るって時に、どういう心持ちで臨みましたか?
竹原:
曲が完成していくまでのやり取りは監督とメールをしていたんですけど、とにかくもう優しくて、愛のある人で。それにどうにか応えたい、倍返ししたいぐらいの気持ちで作ったっすね。時代劇なので、至ってシンプルなコード進行で、そこに鼻歌みたいなさりげないメロディにして、最後はサビを付けようと。とにかく気持ちで応えたいと思ってやりましたね。
■作詞:松本ピストル/作曲:竹原ピストル、ですからね。――ツアーがまだぎっしり先まで決まってますが、年内はずっとツアーですかね。
竹原:
そうですね。多分、ずっとこんな感じだと思います。来年も(笑)。○○○ツアーとか考えたことないです(笑)。
■では、今後の活動の展望を教えてください。
竹原:
そうなりたいと思ってるのは、日本だけじゃなくて、世界を年がら年中廻ってる歌唄いになりたいです。
■おぉ、ワールドワイドですね。
竹原:
どこ行っても受け入れられるような表現を身に付けたいなと思うんですよ。まぁ日本語の歌だと思いますけど、必要とあれば他の言語でも、誰もが受け入れてもらえるような出し物を身に付けて、色んな国を廻ってる歌唄いになりたいです。
■言葉が通じない場所でも伝えられるか?という挑戦みたいな。
竹原:
伝えられたらいいなと思うんですけど、伝えるために言葉が必要なら、それを勉強すればいいわけだし。どこ行ったって人は人だろ、みたいな感じなんですよ。ひょんなきっかけですけど、11月にN.Y.に行くんですよ。向こうの友達が仕切ってくれて。せっかくだから日本でやってるように「僕も歌わせてください」ってオープン・マイクに飛び込んだりをして、ちゃんと次も組んでもらえるようになれば、日本からN.Y.という廻れる場所が一箇所増えるじゃないですか。それで、日本でやってるように「うちにも歌いに来てよ」って名刺貰ったりするかもしれない。すると、そこも廻れるようになるかもしれない。そうやって増やしていく事は可能だから、もう出し物を追求していくだけですね。
■分かりました。最後に、竹原さんにとって音楽を続けるということとは?
竹原:
それはさっき言ったことと同じで、これしか出来なくなったからやってるだけで(笑)、続けざるをえなくなってしまった。もちろん、好きでやってるんですが。

Interview&Text : 田代 洋一

 

liveinfo8/1(月) 東京/渋谷 La.mama
8/2(火) 千葉/志津 志津 SOUNDSTREAM
8/3(水) 東京/阿佐ヶ谷 あさがやドラム
8/4(木) 千葉/千葉 ANGA
8/5(金) 千葉/船橋 月
8/6(土) 広島/広島 楽座
8/6(土) 広島/広島 平和記念公園(原爆ドーム対岸)
8/7(日) 大阪/心斎橋 大阪キングコブラ
8/8(月) 茨城/水戸 90EAST
8/9(火) 茨城/日立 小川屋
8/10(水) 福島/郡山 THE LAST WALTZ
8/11(木) 栃木/宇都宮 宮フォーク村
8/12(金) 群馬/前橋 Cool Fool
8/13(土) 群馬/高崎 club ROC
8/14(日) 群馬/赤城山 喫茶 虫の音
8/15(月) 福島/福島 四季の里(野外イベント)
8/16(火) 福島/いわき Bar QUEEN
8/17(水) 宮城/仙台 enn
8/18(木) 岩手/久慈 UNITY
8/19(金) 岩手/盛岡 Club Change
8/20(土) 青森/弘前 萬燈籠
8/21(日) 岩手/花巻 松庵寺
8/22(月) 秋田/秋田 秋田ロックス
8/23(火) 山形/山形 FRANK LLOYD WRIGHT
8/24(水) 青森/八戸 ROXX
8/25(木) 青森/青森 ロック&ブルースバーまんぶるず
8/26(金) 新潟/新潟 ゴールデンピッグス
8/27(土) 新潟/新潟 カポタスト
8/28(日) 新潟/上越 EARTH
8/29(月) 富山/富山 橙
8/30(火) 石川/金沢 もっきりや
8/31(水) 福井/福井 Bar Jake

    〜

RADIO CLASH presents
『“ドサ回りの鬼”竹原ピストル 東名阪札福ワンマンツアー 帰郷編』
12/2(金) 千葉/千葉 ANGA
12/3(土) 三重/尾鷲 Blue Moon


詳細は http://blog.goo.ne.jp/pistol_1976 にて

releaseinfo
『SKIP ON THE POEM』
PMF-135
¥2000(税込)
発行:ペルメージ・レコード

 

releaseinfo
『復興の花』
¥1000-(売上は東北関東大震災によって被害のあった街に寄附させていただきます)



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